「喜び」に
持続性はない

と、私は思う。



たとえば何か褒められたり、
感謝してもらえたりして、

あーよかったな、
そう言ってもらえて嬉しいな

って、

そのときは
どんなに心の底から喜んだとしても、


その瞬間の感情っていうのは、


ずーーーっと感じ続けることが
むずかしい。



そのたった1回の喜びを、

自分の中で
何回も何回も再利用

……は、できない。



相手から繰り返し言ってもらわないかぎり、

同じ感情は戻ってこないのです。


「喜び」は、常に1回限定。




だから、

「好き」とか「ありがとう」って、それが
どんなに勇気振り絞って心こめた告白だったとしても、

1回言えばその後一生なくてOK!

…じゃ、ないのよ。



相手の中で、その瞬間の感情は

その後自力で
まったく同じようには再現し続けられないから。 





もちろん、

「ああ、あんなふうに言ってもらえて嬉しかったな」

って覚えておくことはできるし、

それを思い返す瞬間は
もちろん嬉しい気持ちになってるだろうけど、


絶対

まったく同じようには
感じ続けられない。



MAXの喜びは、
どうしたってその瞬間だけであり、

それはその後超えられないのです。




………だから、



伝え続けることが大事。




思ったその時、その時で、
毎回伝えることが大事。




「あのとき言ったからもういいかな」

なんてことは、ないのです。


それは、相手の中で
その時かぎりのものになっているから。




賞味期限が「本日中」
でーっかいホールケーキをプレゼントされて、

「はい、一生分のプレゼント!」

って言われても


困るでしょ?


いや、食べられるの今日だけなのに
これで一生喜び続けろっての!?

と、なるでしょ?



…………そういう感じ。 









私は、こうやって過去の「嬉しかった!」を
自分がどんどん忘れていってしまうって

その喜びを忘れていってしまうって

わかってたから、


だからあえて、書き残すことで
忘れないようにしてた。


…たとえあの瞬間の感情再現は二度とできなくても、

嬉しかった出来事自体は忘れないようにって。




でも…



どうやらそのせいで、
私は

奇跡じゃないものを奇跡にしてきすぎた。


本当は全部ただの偶然だったのに、

1回1回を忘れないように蓄積してきたせいで、
それが連なるほど
奇跡が起きてるみたいになってしまってた。



ばかねぇ。。 



自然と忘れていけばよかったのかもしれない。

シンプルに、
その時その時で

「わーすごい偶然!」
とだけ喜んでいれば

余計な夢は見なかったかもしれない。



ばかだわぁ。。






あなたが信じたかったものは、全部
ただの偶然よ

と、ついに気付かされた日があって、


それ以来

どうも今までのように文が書けない。 



過去に、それなりに面白い文があったとしたら、
それはきっと

私がまだ、夢の中にいるとき。




それがとっぱらわれてしまった今、

どうやって何を書いたらいいか
よくわからない。



…だから余計な奇跡はいらなかったの。



そのせいで

私はもしかしたら、

戻ってきてくれる人に
紐を結びつけてしまっていたかもしれない。 


またそのうち帰ってきてね、と。




ずいぶん昔のケーキを
長々とっておきすぎた
おバカな私は、


もう食べられないそのケーキを

どうしたらいいかわからない。


いっそのこと
それがまだ食べられると信じてたかった

けど、

とっくに期限切れてたと知った私は
もう同じようには文が書けない。



でももう年末だから、
この言葉で締めます。


ありがとう。