隣の芝生はエメラルドグリーン。

みんなの芝生がキラキラでせつないけど、 なんとかウチの芝生も愛したい・・・そんな日々。

2016年05月

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孤独なハッピー


夜道は、

面倒なおにーさんに
声かけられたくなかったら、

できるだけ顔を気を付けたほうがいい。 



落ち込むことがあったり、
すごく疲れてたりすると、

ついつい
そんな顔で歩いてしまうんだけど。


そんな顔して歩くとほぼ確実に

スーーーーっと寄ってこられてしまう。



人間、
憂い顔のほうが

意外と人寄せ付けてしまうのよおそらく。。


まあ、

都会の夜道で声かけてくる人たちは、
憂い顔もなにも、ただ

気分沈んでるっぽい=「いけそう」

なだけでしょうが。



リンと凛々しい顔して歩くか、
もしくは
もうバカみたいにご機嫌な顔して歩くか
すれば

とりあえず
そういう男には声かけられないでしょう。。





でもどっちにしろね、

ある程度の「憂鬱」が人を寄せ付けて、
「ハッピー」はかえって人を遠ざける

ことが、

あるなと思うんです。


ハッピーな人の周りには
自然と人が集まるような明るいイメージで、

たしかにそれはそうなんだけど…


…実は、

ハッピー!と言い張る人間は、
絶対
どこか孤独なはず。

もうハッピーに洗脳されてるから、
その孤独に自分が気づいてないだけで

傍から見れば絶対
遠ざけられてる部分がある。




なぜ?


……世の中の大半の人間は
それぞれ何かしらの

マイナス感情を抱えているからよ。


そういう人間にとって、
何か相談したいときとか、
愚痴聞いてほしいとき、

ハッピー人間はそんなすぐには
選ばれないはず。


だって

マイナス感情に襲われてる人間にとって、
ハッピー人間は
関わるのを億劫に思う相手だから。


それはハッピー人間が悪いんじゃなくて、

ダメダメ状態の自分が
ハッピー人間と向き合ってしまうと、
さらに自分のダメダメが際立って
つらくなるからです。

人間、どうしても相手と比べちゃうんです。



…だから、

本気の悩みがあっても、

ハッピー人間に一番に打ち明けることは
なかなかない。


そこに行き着くまでに、
もっと
憂鬱要素持った他の誰かに話してる。

そっちのほうが安心して打ち明けられるから。




私には、ずっと仲良くしてる友達が何人かいます。

それをA子・B子・C子とする。
A子が一番付き合いの長い親友だとする。


私は今、B子・C子とは毎日のように連絡とってて、
今自分が抱えてる悩みも打ち明けた。

……でも、実は
A子にはもうだいぶ連絡をしてなくて、
当然悩みも話してない。
まず自分の近況すら教えてない。



さあ、なぜ?



それは、A子が今超幸せ者だから。

一番、悩みを抱えてないから。


B子・C子は、私と同レベもしくはそれ以上
くらいの悩みを抱えてるから、
私はあっさり自分の悩みも打ち明けた。

でも、

A子には話したくなかったの。

決して嫌いなんかじゃなく、ただ

「何となくわざわざ言いたくない」って
思ってしまって。。


今打ち明けたところで、
自分が惨めになるだけでしょう、と。





……これが、

ハッピー人間が人を遠ざける理由。


ハッピーであるほど、
傷を負ってる人間の痛みに
うまく寄り添えない。

悪気はなくても。

そのハッピーオーラゆえに
他人が弱みを見せたくなくなる。


だから今たとえ悩みがなくても、

B子・C子より実は
A子が孤独。


でも、A子は幸せ。

自分は何も打ち明けられてないことに、
そもそもまだ気づいていないから。





ハッピー!な人に寄っていくのは、
同じくハッピー!な人か、

もう心底自分もそうありたいと思ってる人。


世の中の大半の人間が
愚痴や悩みを
最も気軽に相談できるのは、

憂鬱を常に2割か3割は感じつつも、
それなりにハッピーに生きてる人

では。


ある程度の憂鬱部分が、
「ああこの人も一緒だ」って
相手を安心させて、

でも、

「この人と話せばちょっと楽になるかも」
ってポジティブをどこか信じさせるような
性格的な楽天さ。



そのくらいがベスト。
一番、人を寄せ付けてるはず。




私は、

仲良くしたい相手がいるときは、

無意識にとにかく
相手の波長に合わせようとする。

ハッピー度合を
極力そろえるの。


自分の幸せは
あんまり前面に出さないようにする。



ハッピーを思いっきり出すのは、
同じくハッピーな人といるときだけ。



それ以外ではむしろ
孤独要因になるとどこか思ってる。





……だから結局ね、

ある程度は憂鬱でいいんだって。


そのほうが、愛されたりするんだって。


儚げな表情や、憂い顔のほうが
惹きつけたりするように。




人間、意外とマイナス要素も
必要なのです。


……心許されたいときは。


精神統一のため



こんな風に文を好き勝手に書くことを

やめられるか?


と聞かれたら、


たぶん私は

「やめられない」

と答える。



でもじゃあ、


こうやって好き勝手に書く文を

誰に読まれても大丈夫か?


と聞かれたら、


私は100%

「だいじょばない」

と答える。





なんでかっていうとね、

ここは
私にとってある意味

精神統一の場

だから。


心が乱れてきたときとか、
どうしようもない思い抱えてるときとか、
直接は顔合わせないくらいの人に
聴いてほしい話があるときとか…

に、

私はこうやってここでひっそり
文にすることで

気持ちをまとめてる。


文を書きながら、自分の中で整理して
落ち着いてる。


もはや

文を書かないと、
いつまでたっても情緒不安定のまま
なのです。



……だから、精神統一の場。


でもこれで私が精神統一できてるのは
おそらく

毎日のように私と顔を合わせる人は
読んでない前提

で書いているからこそ
なのです。



ここで、そういう身近な人が
何かしらの接触でこの文を読んでしまうかもしれない

っていう危険を持ち始めたら、

私はもう


ここで精神統一できない。


どこかしらで
読まれる前提の文にしてしまうから、

狂ってしまうのです。。


きっとどこかで
「こう見られたい」の自分に変えてしまう。
「こう見られたくない」の自分は絶対隠す。

そんなのもう

何のための文か
わからない。






…………そこで、ですね。


今後はもう、
ひとまず
私が本来の私のまま
ここで素直に文を書けることを
優先するために、


このブログ全体に
パスワードをつけることにしました。



個人日記にしないのは、

あくまで誰かが読んでくれる前提で書いてこそ、
文は面白くなるから。


私がこれだけここまで
ブログを書いてこられているのは、

どーーーーー考えても、

今この文を読むあなた様がいるからです。


なので、
こんなところまで読んでくださっている方には
どうか引き続きお願いしますの気持ちをこめて、

パスワードをお伝えしておきます。



……正直ね、

この文を読む相手だって
私は知らない。

もしかしたらとっくに身近な人かもしれない。

……でも、

たとえそうだとしても


もうここまで読んでこられちゃ、
ぶっちゃけこの先隠すことはないのですよ。。笑


だからもういいの。



私は自分の精神統一のためにも、
もうしばらくここで文を更新していくつもりだけど、

それはどこかで誰かにも聞いててほしい。

でも誰でもいいわけじゃない。


だから(誠に勝手ながら)その権利
あなたにお渡しします。笑

(一体何名なのかは私にもわからん)


この先どこかで
パスワードを入力しないと
このブログが見られなくなる日がきたら、


青い



と、ご入力ください。



なんか、
好きな曲に絡めようかなあとか
数字の語呂合わせにしようかなあとか

色々考えたけど…


パスワード入力が面倒な動作になるのは
やだな
と思って、

できるだけ短く、打ちやすく、します。


私、青いもの好きなこと多いから。
すべてとは言いませんけども。

まあ、青い服着てこられると、
いい人に見えてしまうのだよね。。




あとは
「隣の芝生はエメラルドグリーン」だけど、

そのうち

「あ、案外青いレベルかな」

と、思えるくらいになったらいいな。


そんな願いもこめて。



まずはひっそり自分の精神統一のためだけど、

いつかどこかで
もし、あなたが似たような何かに襲われたら
ふと読み返してもらえるような、

そんな文も

書ける私でありたいです。



りんごにかぶりつけるか


皮もまだむいていない

真っ赤なまんまるの
立派なりんご。



が、あったとします。



それはそれは美しい。

艶々。そして高価。





…さあ、あなたはこのりんごに

そのままかぶりつくかい?






私はね。。

これまでずっと

りんごってのは、
多分そういう姿で思い描いてた。 


何一つ欠けてない状態。


そういう状態のりんごが
食べたかった。





だがしかし。



今私はもしかしたら、

そんなりんごに憧れたまま、

一生懸命心をコントロールして、

真っ赤な皮をすべてむき。
そこではまだ食べず、
そのりんごの側面を
どんどん

削ぎ落としていってる気がする。


もうそこは食べられるよー
捨てちゃもったいないよーー

ってくらい

食べられる部分を
そのまま流しに削ぎ落としていく。



「ここもなくてもしょうがない」
「ここもなくてもまあゆるす」

って暗示をかけながら。




………そうやっていつのまにやら

私の手元には

ほっそーーーい
もはや漫画チックなりんごの芯だけ

残る。



……食べられなくはないよ?

でも、かぶりつくほどじゃない。

……味は変わらないよ?

でも、美味しい瞬間はほぼ一瞬で終了。




それでも私は、

「りんごを食べた」って

主張するんだろうか。


美味しかった、満足、って
自分に言い聞かせるんだろうか。




…何一つ欠けてない
完璧なりんごを夢見るのやめよう

と思ったの。

そもそも自分にそれにかぶりつく資格はない

と心底思ったの。


だから、

私のほうが変わらなきゃと思って、

欠けていくりんごを
受け入れようとした。

それはそれでいいのと、言い聞かせた。



……そしたら、

削ぎ落としのストップどころが


わからなくなっちゃったんだよねー…。



どこまでなら
多少なくても許容範囲なのか、

私がぐっとこらえるべきなのか、

わからなくなってしまった。



結果、

私はすごく美味しいところの少ない
芯みたいなりんごを持って

「これはこれでりんごなんだろうか」

とバカみたいに悩んでる。



そりゃね、

それもりんごですよ。


でも決して、
私が理想とするりんごじゃない。



それを私は
そのまま受けとめるべきなのか

「こんなのやだ!」と捨てて、
一から真のりんご探しをやり直すべきなのか。



”ある程度の我慢、広い心”

を、意識しだしたら


結局その限度がわからなくなってしまったのね。


やれやれ。



どんなに現実を見つめて、
理想のりんごを追い求めるのをやめても、

自分の中での基準というか、

「ここだけは譲れない、守りたい」っていう
意思だけは

自分で決めて守るべきだった。


それが「削ぎ落としすぎ」なのかどうかの判断も
自分がするのだから。




真っ赤でまんまるのりんごに
かぶりつけちゃう私ならよかったけど、

それが実際はできない現実を
認めます。


あとはどこまでなら
自分にとって「美味しいりんご」なのか

ちゃんと自分で考えておかなきゃ。



……ですよね。




世の中は

芯みたいなりんごだらけだ。



逆にその世界で、

自分はどの程度の形をたもったりんごで
いられてるのか

も大事だった。


自分こそ、
誰かにとっては芯みたいなりんご
なんじゃないの?




……ああむずかし。

感動させる美味しさでありたいし、
感動する美味しさを味わいたいよね。。


私がちゃんとかぶりつける日はくるんだろうか。





りんご、奥深し。


何が聞きたい?


前からちょいちょい
あったはあったけど、

ここ1週間くらいで異常に増えた

「井森美幸デビュー30周年」

…というタグに引っかかっての
このブログへのアクセス。



なんなのだろう。

あのイベントから2ヶ月以上たつのに
なぜ今?

近々また何かあるのかな?



たまにならわからなくもないけど、

もう毎日のように
これで誰かしらが検索して
私のその記事だけを読んでるとなると

不思議でしかたない。




前は、それとはまた全然別の
あるブログ記事だけが

異常に
読まれていた。

おそらく同じ人ではなくて、
いろんな人が検索して
引っかかって…という感じ。



なかなかブルーな記事を
ひたすら繰り返し読まれていたこともあった。




なんなんだろう。ほんと。

不思議としか言いようがないけれど…。


そして、
それに該当するような方々はおそらくほぼ

この記事は読まないと思う。


そういう人たちってほんと、
検索ワードがまんま引っかかったその記事のみ
読むのであって、

寄り道みたいについでに他のも読んでったり…
ってことをしないから。



……だから私としては、
望ましくない読まれ方なのだけど。苦笑




理想は、
とりあえずでもついででもいいから、

他も思わず流れで読んじゃうような文
ですもん。。


それがなくて
「知りたい単語が含まれた1つの記事」しか
目を通してもらえないのなら、

やっぱりこのブログは
その程度のものってことで。




じゃあ、今、どこかでこの文を読む誰かは、

一体


何が聞きたいんだろう。

私から何の話が聞きたいんだろう。



個人情報をさらさないために
書きたくても書かないネタなんて
山ほどあって、

ほんとはもっともーーっと

私には書きたいことがある。



だけどそれははたして

聞きたいと思われるようなことなんだろうか。




何が聞きたい?


私の愚痴?
ブルーな話?

前向きな精神論?

それとも
なんでもないくだらない話?



私は(これでも)抑えてるつもりで、

スピッツが絡んだ話なら
ほんとはもっとある。笑

おそらく超どうでもいい話が
いっぱいある。



♪黄昏に~あの日二人で~
なーがめたなぞの光思い出す

♪朝焼けが~ちゃちな二人を~
そーめてたあーくびして走り出す


……この太字部分が好きなんですよー
母音のつなげ方素敵なんですよーー



なんて話



聞きたいだろうか。笑




見えない読み手がいるというのは、
本当に不思議。

もしかしたら

ただただ井森さんの話が
聞きたくてしょうがない人が
世の中にいっぱいいるのかもしれないし。笑



なんなんだろうな…

きっと
そんな私が考えるほど
考えて読まれてなんてないんだろうけど。



何が聞きたいのかなあ。




とりあえずそればかり考える

今日この頃。




どうかと願うのは


私はこれまでの人生において、

生理で苦しんだことが
ほとんどない。



一応、お腹がびみょ~に痛くなったり、
下半身がだるかったり、
腰が痛かったり…

くらいの不調はあるものの、


薬まで飲んだことは一度もない。





……でもね、

ある子が

生理のとき一日10回近くは
薬飲まないと無理

って言ってて。


その子、生まれつき
臓器の数が人とちがうんだって。

子宮もだから、

生理のとき影響が大きいと。 




入院するほどの激痛とか

あったりするんだって。


そうやって体調不良くりかえして、

仕事もしづらくて、
憧れの一人暮らしもさせてもらえなくて、


毎月毎月、何年も痛みと闘う現実。





「もう私、子どもなんかいらない!」



って



その子が言ったとき、


私何も言えなかった。






私も別にそんな子どもほしい願望ないけど、


そんなの関係ない。


そんなのこの子に
簡単に言うべきじゃない。





もう子どもなんか産めなくていいって
思うくらい

生理が地獄なんだよ。


なくなってほしいんだよ。




その痛みを
人生一度も体感しないですんでいる私が、

何を言ってあげられるだろう。




この子ほどまではいかないとしても、

生理が重い子って、
周りにたくさんいる。

立ってられないくらいの痛みとか
よく聞く。



………これが毎月必ず、だよ。

一定で必ずやってくるわけだよ。
子ども産んで年老いるまで。





人間……


不公平だよなあ、と


思うよね。。




その子も「なんで私は」って
思い詰めちゃうこと

よくあるようで。



そりゃそうだよね。。





私だって、これまでの人生で

コンプレックスやらなんやら色々

「なんで私はこうなの」


って悲しくてしょうがなかったことも、

いまだに悩むことも、


いっぱいあるけど。





痛みはきっと、


本当に、本当に、つらいよ。


それに終わりが見えないほど。




結局ね、


どんなにあれこれ夢や理想を描いて、
届かない自分にもどかしくなったりしても、


こういう子の現実を知ると、


はたと原点に帰らされる。



や、私、もう十分じゃないか。って。




神社とかで、
お賽銭投げたあとってね、

そのときどんな野望を抱えていたとしても、

結局、必ず

なんだかんだでいつも
同じことを願ってしまうの。


「どうかどうか、私と私にとって大切な人たちが
これからもずっと健康で元気に笑顔で暮らせますように」


…って。



もうそれが、

すべてだから。



どうかと願う、すべてだから。




余計な願望すべて削ぎ落として

残る、一番大切なことだから。




これが守られているかぎり、

私はとんでもない幸せものだ。


健康はほんとうに奇跡なの。


だから、どうかと願う。



どうかどうか、みんな
健康で、元気で、笑顔でいさせてね。

あの子の痛み
どうか早くなくしてあげてね。



願いが何一つ叶わない気がして
自分が惨めに思えてしょうがないときは、

いったん
健康に感謝したらいい。


そこすらも奇跡なことを忘れない。



恋してこなかった理由



うーん…

もしかしたらそのうち

消してしまうかもしれない話。




自分は大した恋愛してきてないわりに、
他人のことならものすごく的確に読めてしまって

妙に友達から恋愛相談されやすい私。



彼氏に振られたという子が、

傷付けないような言い方で振られて
その後も冷たくはされず、相手してくれて
かえって辛い

と嘆いていた。 


もう彼女には戻れない
って現実をたびたび痛感させられるのに、
本気の一撃はまだくらってない状態。


ナイフでちょっとずつ切られてるみたいで、
それならいっそ
包丁でぶっ刺されて即死のほうがマシだった

って。


その子はまだその彼のことが好きだから、
この状態が「辛い」になるのでしょう。

その彼に何の思いもない私からすれば、


なんてずるい男!!!
そんな奴こっちから願い下げ!!!

だもの。




…だってね、

彼は自分のほうに至らない部分があって
その子を振ったという。
これは自分が勝手なんだとわかっているという。

彼女は何も悪くないのだという。


………じゃあそのお言葉から
彼女はどうやって

別れる現実を受けとめられる?


そりゃ、まだ好きであるほど
「辛い」になるでしょうよ。

どうしたらいいかわからないし、どうにもできないんだから。



彼はきっと、

別れたいけど、
彼女を傷つけたくはないから

こんな言い方をしたんだよね。


冷たく突き放すことまではできず、
優しくするんだよね。





……………でもそれってほんとの優しさ?



と、私は彼女に言いました。

結局それ、彼は
あなたに嫌われて自分が傷つくのを
避けたいだけ

でしょう?


って。



ほんとの意味で優しかったら、

彼女が少しでも早くこの恋から
次へ進めるように、

背中押してやるくらいの気持ちで
しっかり離れなきゃ。


自分のこと引きずらせるような関係
ぐだぐだ続けてる時点で、

思いっきり彼女を惑わせて悩ませてるし、
先へ進ませてあげられてない。


自分から別れを告げたくせに。



なんてダメ男!!!



……と。











……………でもね。


たぶん

私も、この彼と
同じようなことを

たくさん
してきてしまったかもしれないんだな。



嫌いじゃない
でも好きでもない

よって冷たく突き放しはできないけど
恋人になる気もない


……結果どうする?



中途半端な優しさで
距離を置くのです。

察してね、と。



直接刺すことはできないから
決定的な一撃は何もしない。


でも結局

私は間接的にその相手に
確実に傷を負わせてきた。



期待させるつもりなんてなかったけど、
結果的にどこかで相手に夢を見させてしまって

それを「いかん。この先はないから!」と
急ブレーキかけて失望させちゃう感じ。




……いつもいつも

恋をできないのは…


いつだって相手のほうが早くて、
一生懸命追いかけてこられちゃうから。


その気になっていない私は、
そこで

逃げたくなるわけ。



待って待って
これ以上追いかけても、あなたが傷つくだけだよ


できるだけ早い段階で教えなきゃと。



でもこれは結局

冒頭の彼と同じで、


相手への優しさのようで、
ほんとは自分を守ってる。

相手を傷つけることで自分が傷つくのを
防ぎたいから


冷たくはできない。
死なせる一撃は繰り出せない。





みんなごめん

とは思ってるよ、ずっと。

でももし
過去に戻れたとしても

私はきっとその相手に
恋はしない。


誰一人、悪い人なんて
いないけどね。

みんな優しいし、全力で気を遣ってくれるし、
一途。


だけど

どーーーーーしても


自分が恋していない相手に追いかけられたら、

私は本能的に逃げてしまうし、
憂鬱でしかないのです。


また誰かを傷つけるし、
私も傷つくと。




誰かに愛されてるうちが幸せだった、
なんて

おばちゃんになってから
嘆かないように…

とは思うのに


心は嘘をつけないもので、

逃げた時点で、
私はもうそこで恋はしない。

私にとってその相手は
もう距離を置きたい人。




……困ったもんだよね。


私が恋をしてこなかった理由は

とても単純。


ただ、恋されるほうが早くて
それに耐えられないビビリだったから

です。おそらく。



でもこれは別に相手に非はなくて、
私が悪い。
私の勝手。

そう、「嫌われたくはない」彼と同じこと。


うまくいかないなあ…ほんと。



いまだに同じようなことで頭抱える私は、
闇が深くなるばかり。

どうしてくれよう。



私が好きなのは草野さんだってばー!


(……だからいけないのか。苦笑)



シアワセ、まぶしい



隣の芝生は

青いどころか、エメラルドグリーン。


それはもう仕方ない。


それはもう、そう見えてしまうもの。




最近、たぶん私にしては珍しすぎるくらい
いろんな知り合いと毎日のように
LINEのやりとりをし続けていて、

一人あたり一日一通だとしても、
複数となると

正直、通勤中も休憩中も帰宅後も
主に誰かしらの返信に時間割かれるようになり…

Twitterなんぞまったく見なくなったくらい。


坂上さんのブログも
もうずいぶん読んでない。。



それでもきっと
私はそのそれぞれとのやりとりに

どこか救われて支えられてるんだろうなあ。


みんなイロイロの事情を抱えてるんだ
って
ちゃんと感じ続けていないと

私はすぐ「インサイド・ヘッド」のカナシミみたいに
顔面からぶっ倒れちゃうから。



私と完全イコールの悩みや問題を抱えてる人は
誰一人いないとしても、

私が抱えていない悩みや問題を抱えてる人が
それぞれにいる。



私が「いいな~いいな~」って思う相手も

どこかで私にそういう感情を持っていたりして、


結局は誰も100%現状に満たされてはない。




そう、わかってはいるの。わかっては。



だけどもねー…
どうしてもねー…



今の私は
自分とこの芝生を

ひとまず荒れすぎないように
草が伸びてきたらちょっと切るくらいしか

できなくて、


そこにちゃんとタネを植えて
鮮やかな花を咲かせて
見事なお庭にしている人たちを見て

自分と比べてしまうの。


あー私はこんなこともできないんだなあ
うちには花なんてないなあ…

と。





ふつうのシアワセが、

まぶしすぎる。



特別なんかじゃない。

みんなにとって自然で、
当たり前のこと。



でもそれが

私にとっては届かないシアワセで、

ふつうなんかじゃなくて、


まぶしくて仕方ない。




ふつうであろうと何であろうと、

その本人が幸せそうであれば、
十分光り輝いて見えてしまうのです。



私はいつになったら
自分ちの芝生を愛してやれるだろうか。



きれいに生きたいとき



思わずため息ついてしまうのは、

ああ自分
うまく生きられないなあと

思うとき。



うまくって何よ?って話だけど。


うーん…

たぶん周りに
自分より「きれいに生きてる(ように見える)人」たちが
たくさんいる

気がするとき、

それがみんな「上手に生きてる」ように見えて、

それができない自分が


ただただ惨めになる。


そんな感じ。 





できれば私

きれいに生きたい。



それは、見た目の「きれい」じゃなくて。



汚れた心のない、
中身がシンプルにきれいな自分で
ありたい

ということ。



嫉妬も、恨みも、嫌悪感も、

冷たい態度も、突き放す態度も、

見下す心も、偽る心も、

言えない本音も、隠し事も、


なーーーーーーんにも

なーーーーーーんにもない、


シンプルにきれいな私。



そうありたい。

本当は。




もう心までスケルトンで生きられるくらい

ピュアで汚れなき人間に。




…でも


どーーーーーーしても

どーーーーーーしても、


無理。



心の汚れを何一つ残さず
洗いきるなんて

ありえない。





常に何かしらの汚れが
落ちなくて

落とせなくて


そんな自分が嫌で。



ただただ隠したくなる。







もっとうまく生きたいなあ。


でもできないなあ。


全部全部ちゃんと洗い流して
きれいな私で生きたいのに。




…やんなっちゃう。




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