隣の芝生はエメラルドグリーン。

みんなの芝生がキラキラでせつないけど、 なんとかウチの芝生も愛したい・・・そんな日々。

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闇と光は付き合えるか


薄々気付いてはいたけど、

私はどうも


若いイケメンさんが
非常に苦手。


…大人になってから。



決して嫌われたいわけじゃないので
笑顔はふりまくけど、

距離もそんな遠ざけないけど、

唯一
心のカギは

がっちり閉めちゃう感じ。 



私は一生
この人にホントの自分は
見せないんじゃないかって

よく思う。



ふつうの女の子だったら

仲良くなれるだけで舞い上がっちゃうような
モテそうなタイプ

であるほど、

私の心は頑丈に閉ざされる。


…でもきっとそういう人たちって、
むしろそうやって寄って来てもらえないほうが
珍しいのだろうから

かえって何か刺激してしまうのか

妙に困ったポジションを獲得して
私の悪循環にハマることも。



「もったいない」と言われたって、

私としては

心開けない人といる時間のほうが
つらい。




…じゃあそもそもなんで
心閉ざしちゃうの?

といえば


そりゃ、彼らが若いイケメンさんだから
ですよ。

ただの光なの。



私という人間は、
光だけではできていないため、

本心まで入ってこられるのは

ある程度の闇も
持ち合わせたもの。


…ただ、この闇の加減が微妙なところで、

真っ暗はだめ。
逆に浅はかなのもだめ。


ほどよい深みだけが
しっくり、すんなり、本心に届く。

つまりもう

私が素を出すのは
とても確率が低くて

できる存在は貴重ということですね。。




光は、闇の中にも突き進んでいける。

だから彼らは、
私みたいな人間にも突き進んでくる。

でも、

闇は、光の中に突き進めないの。


なぜ?


光の中に入ってしまったら、
それに完全包囲されて
自分の見せたくないものを照らされてしまうから

よ。




そう結局、

私は若いイケメンさんが
嫌いなんじゃなくて

ただ彼らに
自分の隠すものを照らされるのを
怖れてるだけ。


だから意地でも
心のドアを開けないだけ。



闇と光は付き合えるか。


…これは、
私みたいに

どっちつかず(両方持つタイプ)が
いちばん難しいんだと思う。


完全な光を受け入れられず、
完全な闇も受け入れられないから、

要は

自分と同じようにどっちつかずな
複雑タイプにしか

心のカギは渡さないんだな。




闇が受け入れられる光は、

懐中電灯のような
闇をかき消すまっすぐで強い光じゃなくて、

闇の中でこそ煌くような
遠い小さな星の光。


…闇に勝っちゃう光じゃ

だめなのです。


むしろその闇の中でこそ
その姿が輝いて惹きつけるような

ほどよい光が

闇と付き合える。



まぶしいくらいに光輝けば
誰からもモテるわけじゃ

ないのです。

ある程度の闇を持ち合わせているほうが
妙な安心感を与えることも

あるのです。



…だから私は
ただのイケメンには惚れない。


きっと今、もうそろそろ

そういう時代。


大人でいい


実家に1日だけ帰って、

ちょっと事情があり
過去の手紙をいっぱい読み返した。


小学校高学年から…
約7年間、

SNSでやりとりするのが
日常になる時代まで 

私はずっとある子と文通をしてた。



それをただひたすら
自分の部屋で座り込んで読む。

気軽にLINEやFacebookで連絡とれるようになって
自然と文通をストップした日から、

こんなふうに読み返したことは
一度もなかったから、

もうほぼ

初見の気分。




あまりに内容が幼かったから、
大分ぶっとばして読んだけど

約80通。



小学生のころの手紙は…

もうほんとに
ただお互い、自分の学校での出来事を
かいつまんで
「〇〇へ体験学習に行ったよ」
「運動会で赤組が勝ったよ」
「読書感想文やだな~」
レベルの話をただひたすら

ちょっとずつ、便せん1枚に
さらっと書いて終わる感じ。

オチも何もない
交換日記レベルの薄さ。


それが中学生になると…

部活がどうこう、先輩後輩がどうこう
成績がどうこう…と
話が少し進化し、
友人関係や家族の悩み・グチが
一気に増える(むしろそれが大半)。
簡潔なただの報告しあいだった小学生時代に比べると、
ちゃんと悩みを打ち明け合って、
「やりとり」になった感じ。


そして高校生にもなると…

びっくりするくらい
男女関係の話がほとんど。苦笑
お互いまだ付き合ってはいなくて、
ただそれぞれ
恋をしたり、恋されて悩んだり、
何とも言えない関係にモヤモヤしたり、
周りとのいざこざに心痛めたり。

そして部活や受験の話もいっぱいして、
春にはお互い大学合格し、卒業。。

文通もこのあたりでストップ。


小中学生の頃は気軽に遠出もできず、
ずっと会えないまま手紙のやりとりだけだったけど、

高校生になってからお互い電車通学となり、
半年に1回くらいのペースで会うのが恒例に。


…そのまま今でもそのくらいのペースで会う。



変わったのは…

会って二人ですることや、話すことかなあ。

ふと思い返すと、大人になったんだなあと、
しみじみ思う。



文通してた手紙には、

「4649(よろしく)」とか「1616(いろいろ)」
「~しようNE(ね)」とか「Bye-Bye(バイバイ)」とか
「かわE→(かわいい)」などなど…

懐かしくもダサい書き方がいっぱい。苦笑


字の大きさや、丁寧さは、
日を追うごとに
ちゃんと大人になっていくのが目に見えて。
小さいシールやメモの交換してたのが、
写真になり、
プリクラになり…これまた進化。


ぜんぶ一通り目を通して…

思わず出た、ため息。




ああ…



私たち、大人になったんだな

……大人になれてよかったな


と。





正直ね、もう

「あの頃には戻れなくていい」って思った。
このまま大人でいいって思った。

ちょっと昔までは
トイザらスキッズのCMソングで
「♫大人になんて~なりたくない~」って
しょっちゅう口ずさんでたのに。


約80通の手紙を読んで、タイムスリップして…
私は


子ども時代って
なんて窮屈で残酷だったんだろう


と、思ったのです。




あくまで私の元にあるのは、
あの子が私へ送った手紙だけで

自分があの子へ送った手紙は
一切読めてない。

だから自分が書いた内容は、
あの子の返事内容から憶測するくらいしかできない
けど。



たぶん…
相当悩んでたし、苦しかったろうな
と思う。

あの子の返事だけじゃ、
その辛さはあんまり伝わってこないけど、

とりあえず読み取れる出来事の断片だけ頼りに
記憶をよみがえらせると

思わず脳が拒否するの。


あんまり思い出したくないよ~~~
って。



過去は……
恥ずかしくて目を背けたい自分と
苦い思い出ばかり。




子ども時代が窮屈で残酷なのは、

学校という世界の狭さと、
どうしてもそこで生きなければならない縛りゆえ。

義務教育という環境で
皆と同じ道からそれる発想に至らないので、

とにかく必死でもがいて
その世界でなんとか自分を守る。


私は守りで精一杯だったけど、
周りには自分を守るために武器を振り回す子も多くて、
それでよくわからない傷を負うことも多々あった。
怖いものがいっぱいあった。


私はそんな学校で悩むことが多かったけど、
あの子は家庭で悩むことが多かった。

家庭もある意味、子どもにとっては
どうしてもそこで生きなければならない
縛りの世界。

そこを出たら、自分は生きてけないと
子どもは思うから
必死でそこで何とか耐える。



お互い、「もうやだよー」なんて
軽い書き方しながらも

本当は、SOSだったんだ。

手紙が
唯一吐き出してた場所だったんだ。



せめて、だれかに知っていてほしかった。
共有してほしかった。
味方になってもらいたかった。

…そんな

子どもなりの苦しい気持ちが


なんてことない言葉から

見えてしまった。



………大人になったから。




私たち、大人になれてよかったよ。

だってもう
生きる場所を本気で変えたいと思えば
自力で変えられる。

そこで闘うこともできるけど、
脱出することもできる。


狭い世界にこもらず、
広い世界へ
自分の意志で行ける。


いやだな~って思う人や物事と
うまい距離感でつきあえるようになって、

限界感じたら逃げ出す術も持っていて、

どこでどうやって生きていくかは、
もう自由。



…だから大人になれてよかったよ。

もう大人でいいの。
本当は子どもよりずっとずっと、生きやすいはず。

そりゃ、大変なことはいっぱいだけど。


どんなに大変なこといっぱいでも、

生きる世界が広がったから、

1つの世界が苦しいとき
他で気分転換したりストレス発散したり
悩み吐き出したり…ってのが
自力でできるようになった。

狭くて窮屈な世界だけで生きるより

ずっとずっと乗りきりやすい。




約7年分の手紙が教えてくれたこと。


子どもは、楽なんかじゃなかったよ。

むしろ
大人になれて、ホントによかったよ。


大人になれたことに感謝して、
大人を満喫すべきだ。



…もう子どもには戻らないこの先で、

ずっとね。



スポットライト期間


なんだかんだで

やっぱり私


それなりに恵まれていて、

ラッキーガールで、

幸せ者だなあと


1年に1回、

この祝ってもらえるシーズンに
思う。 



いつもね、
たくさんの愛をあちこちから
もらえているのは

わかってる。

ちゃんと気づいてる。

自分はものすごく愛してもらえているのだと
ちゃんと感じて生きてきてる。



……それでも、

忙しい日々や
モヤモヤする悩みや
どうにもならないストレスで

つい
そんな愛をかき消してしまって

つい
自ら殻にこもりたがるのが日常。






1年に1回、
このシーズンだけは

確実にスポットライトを
当ててもらえるから。



…だからね、

普段よく見えないありがたいものが

一気にぐぐーっと
見えてくる。



たくさんのありがたい言葉をもらって、

ああこんなふうに思ってくれてたんだ
私はこんなふうに見てもらえてるんだ

と、

やっと自分を
明るいところで見つめられるような。




でもこれは

1年に1回、バースデー期間限定なの。

一年で唯一、
自分のいいところ掘り出して伝えてもらえる期間。



そこで

そんなふうに自分を認めてくれる人たちに
心から感謝して、
実際はそこまで至らない自分を反省する。

どの程度至らないかは
自分が一番わかってるから。






いつも愛に気づかないフリしてしまって
ごめんなさい。

どうせ私はとひがんで
ごめんなさい。


いつだって本当は
頭ではわかってる。

ありがたい愛をもらえていること。

でも、スポットライト当たらないと
暗くてよく見えないから、

ない気がしてしまうんです。



1年に1回、
明るくなっていっぱい見えて

反省し、感謝する。


そのくりかえし。

そうやって大切な愛を思い出して
増やして

歳をかさねてく。


そうやって歳をかさねて

愛情深い人間に
なっていけたなら。




愛するから、愛される。



せわしない日々に負けそうなときも、
この原点は忘れないように。



一年後また一歩

今より愛が深められている私で
ありますように。



追われるのは幸せか


モテる人生と、
モテない人生だったら、

そりゃ

モテる人生のほうが

いいと思う。


きっと得すること多いし、

ちやほやしてもらえるのは
とても有難いことで。



なにより、

人間
他人に「かわいい」と言われてこそ
かわいくなれて、

「かっこいい」と言われてこそ
かっこよくいられるもの。


だからモテるほど、磨かれるのは事実。 




……でもね、


モテる=幸せ

とは、かぎらない


と私は思うのです。




恋が叶わないとき、
想いが届かないとき、

つらいのは自分だけだと思う?


何回誘ってみても
なんやかんや理由つけて断られるとき、

ため息つくのは自分だけだと思う?


思い切ってLINEしてみたものの
既読にすらずっとならなかったら、

気にするのは自分だけだと思う?






………これは

相手も、だったりするのです。






恋を成就させてやれないことも、
想いを受けとめられないことも、

毎回毎回断ることも、

LINEを見なかったフリすることも。


ぜんぶぜんぶ


無感情ですんでるわけない。



ぜんぶぜんぶ、
そうされる相手の気持ちもわかるからこそ

する側もつらい。


好きで人を傷つけるわけないでしょう。

傷つけたいなんて思ってるわけないでしょう。


ただ

自分の気持ちに正直に生きると、

相手の恋心には応えてあげられなくて


相手に変な期待をもたせてそれを裏切ることを
しないためにも

最初からキョリを置く。


見込みはないからこの先これ以上がんばらないで
って。





………しかし。


これ、


あんまり効かないもんです。

不思議だけど。


NOの気持ちはおそらく伝わってるだろうに、
相手の心はなかなか折れない。

というか、折れても、
しばらくしたら復活する。


…でももうそれが

恋なのですね。


本人も頭じゃ「無理」とわかってるだろうに、
心はそう簡単にあきらめられない。


きらいになれない。
好きなものは、好き。

なんとか一歩ずつでも進展させたい。





………困ったもんだ。

惚れるのも、惚れられるのも。




モテる人生はラッキーかもしれないけど、

そこで追われつづけるのは、
幸せじゃない。


それはつまり、
ずっと、お互いがつらいから。

追われつづけるほど

自分も相手も
うまくいかない現実に嘆いて

傷を負っていくわけだから。





傷つけられるほうは
つらいだろうけど、

好きで傷つけてるわけじゃないほうだって
つらいさ。


愛されてるのに、
つらいことだってあるさ。




…世の中全員が
両思いになれたらいいのに。




矢印は、どうしてこうも

向き合えないのかね。


遠いからきれいの意味


美術館で

昔の有名画家(主に印象派?)の
絵を見るとき、

よく不思議に思う。


間近で見ると、
正直何が何だかよくわからなくて

色はごちゃごちゃ
絵の具デコボコ
線も点も衝動でテキトーに描きなぐったよう。


…なのに。



それを少しずつ
そのまま自分が後ろにさがって

遠くから見つめると



……ものすごい芸術作品になる。



これが本当に不思議。



あの点も線も
ちゃんと絵の一部として意味をなしていて、

むしろすべて計算して置かれたのか
と思うくらい。

色もなぜここにこの色?と思っていたはずが、
離れてみるとそこにその色でいいのだとわかる。




不思議…


だって、

描いてる画家さんたちは、

描くその瞬間は、
キャンバスに絵の具をのせるその瞬間は、


その絵の「間近」にいたわけでしょ?


何メートルも離れた所から

ワンピースのルフィみたいに
腕ぐんぐん伸ばして描いたわけじゃ
ないでしょ?


「間近」で一体どうやって
あの「遠く」から見た図の美しさを

再現できたんだろう


と、いつも不思議になってしまうのです。

ここにこの絵の具をこのくらい置けばいい

ってどうやってわかるんだろう。



………まあ、

それができる才能や感覚があったからこそ、

こうして死後何十年何百年と
たくさんの人に作品を眺めてもらえてるのか。。






離れて見ると、きれい。

間近で見ると、よくわからない。


…人間みたい。




人が、遠い存在に憧れてしまうのは、
きっと
間近で見ていないから。

汚い部分は、近づかないと見えない。

だから、
離れたところからきれいな姿だけ見て
「いいなあいいなあ」と憧れる。


欠点なんて、ないように思えるの。

だって見えないから。



でもそれはただ、遠いから見えないだけ。




……でも私はね、

ここで「きれいなものも近くで見れば案外汚い」
って話がしたいわけではないです。


遠いから、きれいに見える

たしかにそれはそう。


だけど、そもそも

遠いところからきれいに見えるって、

それ自体が
すごいことじゃないかなと


思うのです。




だって、遠くから見ても汚いものだって
あるでしょ。

離れたらすべてのものが美しく見えるわけでは
ないでしょ。


……だからね、

遠くからきれいに見せるって
そのこと自体が

そうカンタンなことじゃないはず。



たとえ間近で見たら「粗」があるとしても、

遠くからきれいに見せられているのなら、

それは画家が
遠くから見ごたえのある作品を描けるのと
同じように、

意識的に何かをしないと
できないことなはず。



だから、私たちが遠い存在に恋をするのは

決して「ちゃんと見えてないがゆえの恋」
なんじゃなくて、

そうやって意識的に作り上げられたものへの
尊敬だったり好意だったりによる恋


なんです、きっと。



遠いから粗が見えないなんてことは、
心のどこかで承知してる。

だからもし
間近で粗が見える時がくるとしたら、


私が画家の絵を遠くで見たあとに
間近で見たときと同じように、


不思議だって
むしろ感動するんだと思う。




粗に見える何が何だかな部分もすべて
離れて見つめると

素晴らしい作品の一部になってしまう不思議。

それがないと
作品が成り立たない不思議。



……実に人間らしい話だ。



きれいなものは、遠くにあるから、きれい。

でもそれは、
残念な話ではなく、

すごいことなのです。



間近だとそうでもないものを

遠くからきれいに見せるのは、
すごいことなのです。


…たぶんね。


生まれた日は、


プレゼントに
贅沢は言わないから


 1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月





生まれてきた意味

が、


ほしいかもしれない。



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